黄金の自由(おうごんのじゆう)

[ヨーロッパ−近世]

ポーランド=リトアニア共和国における貴族(シュラフタ)による民主制度。 国家元首である王は貴族による選挙によって選ばれ、 さらに国政の実権は貴族による議会であるセイムが握り、 その特権は王でも冒せなかった。 その状況を、名宰相ヤン=ザモイスキは「王は君臨すれども統治せず」と表現した。 しかしこの制度は当初こそ機能したものの、 既得権益を守ろうとする貴族によって時代の変化への適応を拒まれ、 外国が絶対王政による中央集権を確立する中、旧態依然とした分権制度が維持された。 また国王選挙は専ら外国の思惑によって左右され、 ポーランドより自分の出身国の利害を優先する王が選ばれるようになった。 この制度はスタニスワフ王の代に5月3日憲法によって廃止されたが、 時既に遅く衰退しきったポーランドは周辺国によって分割されて消滅した。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る